親分であるところの俺っちが思うに、先代や偉大な先先代、そして立派な大叔父貴が苦労して創業し育て上げて下さったおかげと、テメェでいうのもなんだがおいらの人徳とニラミでもって、今となっちゃあ小せぇながらも関東じゃ武闘派として一目置かれる組になったと自負してんだ。
そんな俺っちの大事な組の繁栄とその威光を高めるためによォ、てメェら組員の日頃の心構ェが、肝心だって事を肝に命じといてくんな。
まずオメェら組員はおいらやカミさんつまりオメェたちにとっちゃ姐さんのいうことに絶対に従うってな当たりメェのこった。アニキぶんたちのいう事をよく聞き、舎弟のメンドーをよく見、テメェのカミさんは日頃からシッポリドップリ可愛がっておくこった。いつクサいメシのお勤めに出るかわからんからな。仲間同士は仲良くし、ミカじめとった堅気の衆には表面親切にな。そうそう、それと俺たちの本分、チャカ(銃)やゴロマキ(喧嘩)の鍛錬を日頃から怠るじゃあねぇぜ。
こうして日々悪事と粗暴なことばかり考えて暮らしてりゃテメェ達だっていつかは組の屋台骨支える立派ななゴクドーになれる日が来るってもんさ。
そいでよォ、こっからが肝心な事なんだがな。いざ出入りやコーソーとなればテメェの命なんざ二の次三の次、オレ様とオレ様の組の繁栄と存続のために身を粉にして、全霊を尽くすのが子分であるところのオメェ達の道ってもんだ。虫ケラみてーなオメェらの○ソみたいなイノチだが、死にゃエイ霊として祀ってやっからよォ。ポケットマネーで玉串も奉納してやらあ。
このことは、先代や偉大な先先代や、立派な大伯父貴も同じ気持ちだろうし組と裏社会の秩序ってもんを維持するために欠かせない「道徳」ってモンだからな、よく覚えとけ。わかったな、野郎ども!
四月吉日
アベシソゾウ & イナゴトモミ
Aki's Blog
2017年4月2日日曜日
2016年8月20日土曜日
「リオ・オリンピックで、国歌が・・・哀しい?」NYタイムズ8月12日
いやー、男子400mリレーすごかったねー!
おめでとう!!
おめでとう!!
ところで、その男子リレーのスタートを観ようとテレビをつけたままで朝の日課をしていると、女子400リレーのメダルセレモニーの音声が流れてきた。優勝はUSA。お馴染みの米国歌/The Star-Spangled Bannerが流れている。
ン?・・お馴染みの?・・・まてよ。
妙にキーが高い。通常シンフォニックに演奏される時はBdurが多いのに、Cdurだし、、。さらにハーモニーも聞き慣れたものではない。
気になって調べてみると、ありましたありましたNYタイムズ8月12日付け
「リオ・オリンピックで、国歌が・・・哀しい?」
という笑える見出しの記事。
http://www.nytimes.com/…/usa-national-anthem-rio-games.html…
さすが自国の国歌だけに敏感だったね。
通常耳にするものとは違うアレンジで国歌が流れているのにショックをうけた米国人は多いようだ。。
ン?・・お馴染みの?・・・まてよ。
妙にキーが高い。通常シンフォニックに演奏される時はBdurが多いのに、Cdurだし、、。さらにハーモニーも聞き慣れたものではない。
気になって調べてみると、ありましたありましたNYタイムズ8月12日付け
「リオ・オリンピックで、国歌が・・・哀しい?」
という笑える見出しの記事。
http://www.nytimes.com/…/usa-national-anthem-rio-games.html…
通常耳にするものとは違うアレンジで国歌が流れているのにショックをうけた米国人は多いようだ。。
「哀しい」のも無理ない、くだんの編曲ではI度の和音が来るべきところにやたらVI度が多用される。上手く使えば効果的なリハモナイズだが、多用すると確かに「哀しい」響きになる。
なかでも最後のキメゼリフで欲求不満になる気持ちは大いにわかる。「O’er the land of the free /and the home of the brave!」の肝心な「free」の部分には通常輝かしいI度の第一転回系がつく。ところがここにもVI度だ。うーん「自由」が哀しい!これはいくらなんでもマズイだろう。そのあとも本来明るいサブドミナントの一転からドミナントに向かうはずが同主短調からの借用のIV度経由だ。なおさら「哀しい」
なかでも最後のキメゼリフで欲求不満になる気持ちは大いにわかる。「O’er the land of the free /and the home of the brave!」の肝心な「free」の部分には通常輝かしいI度の第一転回系がつく。ところがここにもVI度だ。うーん「自由」が哀しい!これはいくらなんでもマズイだろう。そのあとも本来明るいサブドミナントの一転からドミナントに向かうはずが同主短調からの借用のIV度経由だ。なおさら「哀しい」
NYTimes の記事によればこのバージョンはリオで初めて使われたのではないらしい。前回のロンドンオリンピックの際フィリップ・シェパードという御仁の編曲と指揮のもと、ロンドン・フィルがあの有名なアビーロード・スタジオで新編曲で新たに録音した各国国歌の一つなのだそうだ。
NYTimesの記事のリンクから
で録音の様子などをYouTubeで観ることができる。その3分チョイのあたりから件の米国歌が聴ける。
先のリハモナイズの和声感以外にも声部の動き、音のぶつかり、楽器法など、はっきり言って音符の素性が良ろしくない。
この御仁、本職はチェリストらしいが、作曲もするようでサウンドトラックのCDなども2、3出したりして、書き屋としてもそこそこ有名人らしいのだが・・
この御仁、本職はチェリストらしいが、作曲もするようでサウンドトラックのCDなども2、3出したりして、書き屋としてもそこそこ有名人らしいのだが・・
まあ、いつも言うようにたかが国歌だ。しかもよその国歌だからどんな編曲でも僕がとやかく言う筋合いのものではないのだ。
でもなぁ、趣味はよくないなぁ・・・
2014年10月2日木曜日
犯人捜し
何かにつけて、世の中こぞってマスコミも参加しての「揚げ足取り」「犯人捜し」そして犯人を寄ってたかってこき下ろす。自分はともかく他人の間違いを指摘することによってカタルシスを覚えるのだろうね。間違いだって瓢箪から駒で真実をあぶり出すこともある。なにより怖いのは間違いを怖れて何も発言しなくなること。最近気に入っている言葉。
Good judgment comes from experience and experience comes from bad judgment.
Good judgment comes from experience and experience comes from bad judgment.
2014年6月17日火曜日
DVDレビュー”Knowing The Score"
ほんの気まぐれで図書館で手に取ったDVD。これがなかなか面白かった!
Malcolm Bilsonというピリオド奏法のピアニストのコーネル大学でのレクチャーを収録した”Knowing The Score" というもの。
C.P.E.バッハやレオポルト・モーツァルトの演奏論を援用しながら、もともと楽譜の意味していたはずの約束が現代ではかなり変容していることを説明する。
たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタ第一番Op.2-1一楽章の冒頭のモティーフ「ド/ファラbドファ・・・」の「ファラbドファ」にはスタッカートが付いているのに「ド」には何も付いていないのは何故か。本来、弱起は「軽く、短くそして弱く演奏されるべきもの」なのでスタッカートは不要なのだと彼は説く。たしかに僕らもアウフタクトは軽くとは「知っては」いるが実際はどうだろう?実際にCDを聴き較べると、アラウやブレンデルを含むほとんどすべてのピアニストがこのアウフタクトをレガートで、場合によってテヌート付きで強調して演奏する。たしかに僕らも弱起は「軽く」とは知りながら「ほ/たーるの/ひかーり」の「ホ」はかなりネットリ歌ったりする。
さらに、四分音符4つで「ドシラソ」という音符の上にスラーがかかった場合。我々は「音を切らずに滑らかにレガートで」と認識している。しかし、レオポルト・モーツァルトによればこれは驚くべきことに本来「ディミニュエンド」を表す、というのだ。二番目のシは最初のドより弱く、最後のソは4音中一番弱く短い。なるほど、たしかにこう考えるとフレーズ仕舞いの乱暴な演奏はなくなる。
この考え方で、例えばモーツァルトのピアノソナタK332ヘ長調の冒頭の解釈を考えると。有名な「ファーラ/ドーラ/シb−ソ/ファミミ・/」という奴である。ヘンレなどの原点版によればスラーはファーラ、ドーラ、シb−ソ、ファミの4つに分けてかけある。したがってここは繊細な強弱や音の長さのコントロールが要求される。
ところが、、で、ある。日本で出回っている一般的な楽譜を含めて多くの版ではこの四小節間に通しでスラーがかけられる。これはあんまりだ。多くの指導者は初学者の演奏が「細切れ」=小節毎の小さなフレーズぶ閉じてフレーズ感の感じられない演奏になることを嫌う。その為にこうした校訂がされるのはわからないでもない。しかし、依然として作曲者の意図に不誠実である印象は拭えない。
もちろんマルコム・ビルソン含め多くのピリオド奏法のピアニストが演奏に用いるのは現代のコンサートピアノではなくヒストリカルピアノであり、現代のピアノによる演奏が必ずしも作曲者の意図を100パーセント反映されたものにならないのはやむを得ない。しかしもともとの発想が4つに分かれたスラーで作曲者自身によって記譜され、さらにスラーの含有する意味合い(少なくともモーツァルトは父親レオポルトに厳しく叩き込まれた「その意味合いにおいて」スラーを用いているはず)を正確に理解した上での現代的なinterpretation(解釈)という意識で汎用されている楽譜を捉えている音楽家がどれほどいるだろう。
ビルソンの講義はさらに付点リズムの長い音符と短い音符の比率や、3/2と3/4の違い、さらに声楽におけるポルタメントの扱いなど多岐にわたって続けられる。。面白いのは、ショパンなどの「テンポ・ルバート」は「右手のメロディーを左手の伴奏とはずらして演奏する」ことを要求したものだという。
もともと、僕はピリオド奏法というものがあまり好きではない。以前もFacebookでロジャー・ノリントンの演奏をボロクソに貶したこともある。そもそも「伝統的慣習」を盾にした「音楽的でない演奏を」有り難がる風潮には辟易することが多い。しかし、西洋音楽の伝統的なシンタックスを熟知し作曲者の意図を正確に汲み取ることは大切なことと思う。その上で現代の楽器、現代の奏法や感性でどう表現するかは別の問題だ。
そんな当たり前のことを、改めて考えさせられる興味深いプログラムだった。
プロアマ問わず多くの音楽家にとって視聴する価値のある良質なDVDである。
Amazonで購入出来るようだし、音大の図書館などには字幕付きのものも配架されている事と思う。
http://goo.gl/T6HCH7
下記クリップは冒頭近くのほんの一部
https://www.youtube.com/watch?v=az9NWZ2PGGg
Malcolm Bilsonというピリオド奏法のピアニストのコーネル大学でのレクチャーを収録した”Knowing The Score" というもの。
C.P.E.バッハやレオポルト・モーツァルトの演奏論を援用しながら、もともと楽譜の意味していたはずの約束が現代ではかなり変容していることを説明する。
たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタ第一番Op.2-1一楽章の冒頭のモティーフ「ド/ファラbドファ・・・」の「ファラbドファ」にはスタッカートが付いているのに「ド」には何も付いていないのは何故か。本来、弱起は「軽く、短くそして弱く演奏されるべきもの」なのでスタッカートは不要なのだと彼は説く。たしかに僕らもアウフタクトは軽くとは「知っては」いるが実際はどうだろう?実際にCDを聴き較べると、アラウやブレンデルを含むほとんどすべてのピアニストがこのアウフタクトをレガートで、場合によってテヌート付きで強調して演奏する。たしかに僕らも弱起は「軽く」とは知りながら「ほ/たーるの/ひかーり」の「ホ」はかなりネットリ歌ったりする。
さらに、四分音符4つで「ドシラソ」という音符の上にスラーがかかった場合。我々は「音を切らずに滑らかにレガートで」と認識している。しかし、レオポルト・モーツァルトによればこれは驚くべきことに本来「ディミニュエンド」を表す、というのだ。二番目のシは最初のドより弱く、最後のソは4音中一番弱く短い。なるほど、たしかにこう考えるとフレーズ仕舞いの乱暴な演奏はなくなる。
この考え方で、例えばモーツァルトのピアノソナタK332ヘ長調の冒頭の解釈を考えると。有名な「ファーラ/ドーラ/シb−ソ/ファミミ・/」という奴である。ヘンレなどの原点版によればスラーはファーラ、ドーラ、シb−ソ、ファミの4つに分けてかけある。したがってここは繊細な強弱や音の長さのコントロールが要求される。
ところが、、で、ある。日本で出回っている一般的な楽譜を含めて多くの版ではこの四小節間に通しでスラーがかけられる。これはあんまりだ。多くの指導者は初学者の演奏が「細切れ」=小節毎の小さなフレーズぶ閉じてフレーズ感の感じられない演奏になることを嫌う。その為にこうした校訂がされるのはわからないでもない。しかし、依然として作曲者の意図に不誠実である印象は拭えない。
もちろんマルコム・ビルソン含め多くのピリオド奏法のピアニストが演奏に用いるのは現代のコンサートピアノではなくヒストリカルピアノであり、現代のピアノによる演奏が必ずしも作曲者の意図を100パーセント反映されたものにならないのはやむを得ない。しかしもともとの発想が4つに分かれたスラーで作曲者自身によって記譜され、さらにスラーの含有する意味合い(少なくともモーツァルトは父親レオポルトに厳しく叩き込まれた「その意味合いにおいて」スラーを用いているはず)を正確に理解した上での現代的なinterpretation(解釈)という意識で汎用されている楽譜を捉えている音楽家がどれほどいるだろう。
ビルソンの講義はさらに付点リズムの長い音符と短い音符の比率や、3/2と3/4の違い、さらに声楽におけるポルタメントの扱いなど多岐にわたって続けられる。。面白いのは、ショパンなどの「テンポ・ルバート」は「右手のメロディーを左手の伴奏とはずらして演奏する」ことを要求したものだという。
もともと、僕はピリオド奏法というものがあまり好きではない。以前もFacebookでロジャー・ノリントンの演奏をボロクソに貶したこともある。そもそも「伝統的慣習」を盾にした「音楽的でない演奏を」有り難がる風潮には辟易することが多い。しかし、西洋音楽の伝統的なシンタックスを熟知し作曲者の意図を正確に汲み取ることは大切なことと思う。その上で現代の楽器、現代の奏法や感性でどう表現するかは別の問題だ。
そんな当たり前のことを、改めて考えさせられる興味深いプログラムだった。
プロアマ問わず多くの音楽家にとって視聴する価値のある良質なDVDである。
Amazonで購入出来るようだし、音大の図書館などには字幕付きのものも配架されている事と思う。
http://goo.gl/T6HCH7
下記クリップは冒頭近くのほんの一部
https://www.youtube.com/watch?v=az9NWZ2PGGg
2014年2月8日土曜日
巷で話題の作曲者詐称について同業者の見解
巷で話題の佐村河内という人物の作曲者詐称に関して。
ネット上でも意外に代作者に非はなかったという論調が多い。むしろ名声のためでなく素敵な作品を書き続けた純粋で才能溢れた被害者という同情が多いように思う。確かに音大出たての若い作曲家にとって、札ビラきられて代作を持ちかけられれば一も二もなく引き受けるだろう事は、僕自身経験から実感として判る。ただそれを20年ちかくも延々と続けてきたとなれば、音楽家としてというより人間としての何かが少々欠けているという気はする。まあ、見たところ内気そうな当該人物、周囲によれば誠実な人柄のようであるし、つい言い出せずズルズル続けたのかも知れない。
代作氏に較べて中心人物のいかがわしさは明白だ。言うことなすこと怪しくて相当なペテン野郎とは思う。とんでもない奴だ。
だが、ふと考えるのだ。今回多くの音楽愛好家が「奇跡の」という謳い文句で騙された当の作品はいったい誰の作品というべきなのだろう。勿論、音符もかけない自称聾者の作品ではなく全てを書き上げた代作者の才能ゆえに仕上がったものだという人は多い。
だが僕の意見は少し違う。
報道された作曲指示書なるものを見ると、驚くほど緻密なものだ。細かい区分に分かれた指示はかなり具体的で明解だ。イメージの元となる具体的な過去の音楽作品の例示にはじまり、音符はないまでも作風に関する技術的な要請やヒント。更に決定的なのは時間軸に沿った大雑多な緊張感や盛り上がりのフォルムまで決めてある。
僕も比較的大規模な作品を書く時、心覚えや設計図として使うためこの種の表を作ることがある。箱書きと呼ばれるこの種の表の役割でもっとも重要なのは、時間軸にそってどの様な楽想なり音楽的な事件なりが展開するかの決定である。例えれば、8時に始まる時代劇でご老公の一行が8時何分にどんな事件に巻き込まれ、何分後にそれがどんな展開をし、同時にお待ちかねのお色気入浴シーンは何分にあり、悪代官と強欲商人の密談は何分からでその何分後にどんな長さのチャンバラがあり「ご紋の印籠」はいつ登場するか。ここまで決まればあとは細かい台詞をきめれば一話完成だ。
「机の横に置き、ある種のヒントとして、作曲する上で必要なものだったと思います」という代作氏の言葉が、その重要さを物語る。この感覚、世間の人達が理解するのは少し難しいかもしれない。
元来作曲は地図のない旅のようなものだ。大天才でない限り標のない彷徨いは辛い。紙切れ一枚でも、すがる物が有れば大きな力になる。
実際、作曲の作業で最も苦労するのは音符を並べる作業ではなく「何を」「どの様に」表現するかを絞り込む作業だ。いわゆるゼロをイチにする作業。これが決まってしまえば技術をもった作曲者ならば、あとは地道な作業が残るのみといってよい。もちろんその後の工程で、たまには天から降って湧いたような素敵な楽想や巧みな表現がうまれる事もあるわけだが、そうしたセレンディピティーはなくてもそれなりの作品はできるものだ。
つまり作品の出発点となるある意味では最も重要な作業をペテン師君がしたのだから、彼が自作と言い張ってもあながち嘘ではないともいえるのだ。僕が言いたいのは、善し悪しは別として作品の成立過程におけるペテン師くんの果たした役割を世間では過小評価しているということだ。
仮にペテン師くんの指示書なしに代作氏に今までと似たような世界観の曲を書けといっても難しいだろうと思う。意外に世間が気付いてないのは、お涙頂戴のストーリーで騙された悔しさはさておいて、冬の時代のクラシック界にひと時の人気をもたらした一連の作品は、この二人の奇妙な男達が出会い、それぞれの立場で自分の役割を果たした結果生みだされたということだ。
だからペテン師くんを許してやれという積りは毛頭無い。
問題の作品はどれも、オリジナリティはないが美しい曲だ。ただ、それ以上でもそれ以下でもない。いまこの騒ぎの中で性急に代作氏を庇ったり持ち上げたりするのは、あまり後味の良くない騒ぎの上に、更に似たような神話を積み重ねるようものだと思う。当の作曲家にも不幸なことだ。
性急に貶したり持ち上げたりしなくとも作家や作品はやがては世の中に適性な居場所を見つける・・たぶん・・・いや、そういうものだと信じたい^^;
2013年11月12日火曜日
「海の詩」そして「野の花の色」(初演プログラムより)
CDに収録された「野の花の色」
今年の4月に初演していただいたCANTUS ANIMAEのコンサート。
プログラムに、自作とあわせて、師である廣瀬先生の「海の詩」の解説も書かせていただいた。
そのプログラムからの転載です。
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「海の詩」そして「野の花の色」
私が、廣瀬先生に初めてお目にかかったのは、1977年の夏のことでした。その年の芸術祭参加作品となる「海鳥の詩」の録音のため来札されていた先生を札幌のホテルのロビーで捕まえ、委嘱作品の依頼交渉をしようというのが当時北大に在籍し混声合唱をしていた私達の計画だったのです。
残念ながら委嘱作品は完成しませんでしたが、先生にお渡しした私達の演奏の録音を聴いて後に先生が雑誌「太陽」に書かれた記事、都会への夢と希望を高らかに謳歌する作品をなんの屈託もなく演奏していた私達に関して、「アマチュアの合唱団に現実の風は吹かないのだろうか」と書かれたことが私の音楽に対する世界観を変えました。音楽をとおして現実に関われること、少なくとも関わろうとしながら創作する作家がいることを知ったことが、一度は捨てた私の音楽への想いに火を付けたのです。
日本は中東紛争によるオイルショックに端を発した社会不安、そして戦後初めてのGDPマイナス成長を経験し、徐々に顕在化する高度成長の歪みのなかで、豊かさやテクノロジーへの盲信が反省されはじめた70年代半ば、「海の詩」はそんな時代の雰囲気のなかでが作曲されました。
楽譜の前書きには次のようにあります
「海を見るということは我々をとりまく現実を見ることであったり,我々の歴史と直面することであったりする。気づかないながら,我々の運命は「海」と
どこかでつながっている。だから岩間さんの詩に日本論や, 日本人論,あるいは痛烈な風刺や,鋭い批判といった視点が入ってくるのは至極当然のことである。」
5つの楽章からなる組曲はシリアスな告発からシニカルな戯画まで、大きな振幅と多角的な視点で立体的な世界観を構築します。生命を育む力を失った鉛色の海を前に、第1曲「海はなかった」の「怒り」、第3曲「海の子守歌」の「鎮魂」、第4曲「海の匂い」の「嘆き」はダイレクトで明確なメッセージを伝えます。一方で第2曲「内なる怪魚」を作曲家自身は「社会の根底に潜む前近代」と表現します。ボヤボヤしていると、息を潜めていた諸々の魑魅魍魎が「目を覚まし」気がつけば雁字搦めに取り込まれるよ、と皮肉とブラックユーモアを込めてに載せて歌うわけです。終曲「航海」は作者によれば「架空の解放歌」です。「東方に向かって」「光を放たん」と船が攻めてくるというのは、冗談では済まされない昨今の国際情勢ですが、「解放」しようとする側もされる側も何処かいびつでギクシャクした楽想に象徴されるのは、勇ましい解放歌の体を取りながら、実はもっと峻烈で逆説的な文明論と考えるべきでしょう。蒙昧な社会に光を放つのは「理性」という名の新風でしょうか。
一昨年の東日本大震災の直後、在留邦人で構成されるニューヨークの男声合唱団と被災地仙台の合同合唱団がカーネギーホールで犠牲者への祈りや復興への願いを込めて「海の詩」を歌い、深い共感を呼んだそうです。海とともに暮らすしていかざるをえない私達日本人があの日目の当たりにしたのは自然と海の圧倒的な脅威、そしてそれによって露呈した戦後日本が築いてきた文明の欺瞞と脆弱さでした。悲劇への哀悼と反省の思いの前で、作曲後35年以上の時を経た作品は今なお鮮烈な説得力と感動をもって輝きます。
組曲「野の花の色」について
その悲劇からまる2年、私達は依然として土手っ腹に広大な荒廃を抱えたまま記憶だけを日々風化させつつ暮らしています。事態を深刻にした最大の元凶と勇気を持って対峙することもなく、景気の動向と他国の顔色に一喜一憂しながらふたたび嘗ての「停滞」のなかに沈み込んでいきつつあるようにも思えます。「シーラカンス」のように・・・
「野の花の色」は2年前、多くの日本人同様震災後の放心の中で、憑かれたように書き上げた前作「雨のあとには」と多くの点で共通する内容を持ちます。全編書き下ろしの鳥潟朋美さんによる歌詞は、私達が経験した挫折の記憶から未来をどうのように紡いで行くかという命題、そして同時に社会に蔓延する閉塞感を払拭したいという願いを、「冬を送り、春を待ち望むうた」という形で象徴します。
第1曲「光の冬」
鳥潟さんや私が育った北国の人々にとって「冬」は時に厳しく辛いものですが、同時に全てを浄化しやがて来たるべき春を予感させる象徴でもあります。
特に厳しく冷え込んだ大雪のあとの快晴の早朝。空気は澄みきってカラリと凍てつき、純白の新雪に覆われた大地がまるで「光の束を」取り込んだ空気そのものが光を凍結して封じ込めたかのように目映く輝きます。やがて前夜からの息を潜めたような静寂が破れ、雪かきの物音、子ども達の歓声、通勤や買い物に出かける人々の気配で街が突然息を吹き返すひととき。そして再び戻る静寂の彼方で冬は厳かな佇まいで悠然と歩みを進めて行きます。
第2曲「岸辺のうた」
作詞者によれば冒頭は、見上げると空の一点から湧き出すように降る雪を見つめる子供の目。無垢な精神が初めて「存在の孤独」を実感する瞬間。多くの記憶の中、時の流れを象徴する「川」と「窓辺」がクロスする時空の交点で二つの魂が交感する。一陣の微風にさえ儚(はかな)く脆く崩れ去りそうな掛け替えのない場面は一瞬のようでもあり永遠のようでもあり・・
第3曲「あれ野」
作詞者によれば「あれる」は「荒れる」と同時に古語「生(あ)れる」を含意します。古来「荒れ野」は絶望と荒廃を具現するとともにしばしば「新たな力」を生み出す舞台でもあるのです。私達が抱える荒廃がいつか色とりどりに咲き乱れる野の花におおわれ、多様な未来と来るべき世代の原点となる日を夢見て。
第4曲「花あらし」
春は嵐とともにやって来ます。「木々をゆらし、窓を鳴らし」全てを吹き飛ばす強烈な南風の襲来を五感で感じ、明日こそは新たな旅立ちとなることを予感しながら一時の眠りにつく。
最後に再び「海の詩」の前書きからの引用です。
「様々な困難な問題をかかえて生きる我々ではあるが,それにもかかわらず,歌はやはり楽しく,歌い甲斐のあるものでなくてはならないと,かねがね思っている。歌とは人の心を結ぶものだ。この曲もそういう曲でありたいと願っている。」
私自身も師とまったく同感です。心を結んだ演奏を通じてささやかな希望の光が灯ることを願ってやみません。
前作同様、頼みもしない新作を持ち込まれながらイヤな顔一つせず初演を引き受けて下さり、変わらぬ情熱とひたむきさで作品世界を表現して下さるCANTUS ANIMAEのみなさん、舞踏家のように優雅な指揮でしなやかにそして的確に音楽の陰影を浮かび上がらせる雨森文也さんと繊細かつ大胆に音楽の骨格を支えて下さるピアニスト平林知子さんに心から感謝を申しあげます。素晴らしい本番の演奏を、会場の皆さんと共有できる事が楽しみで待ちきれません。
2013年11月10日日曜日
「野の花の色」音楽之友社 近日刊行
2013年4月21日初演の混声合唱組曲「野の花の色」は、2年前多くの日本人同様震災後の放心の中で、憑かれたように書き上げた前作「雨のあとには」と多くの点で共通する内容を持ちます。全編書き下ろしの鳥潟朋美さんによる歌詞は、私達が経験した挫折の記憶から未来をどうのように紡いで行くかという命題、そして同時に社会に蔓延する閉塞感を払拭したいという願いを、「冬を送り、春を待ち望むうた」という形で象徴します。近日刊行予定です。
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