2013年11月12日火曜日

「海の詩」そして「野の花の色」(初演プログラムより)


CDに収録された「野の花の色」

今年の4月に初演していただいたCANTUS ANIMAEのコンサート。
プログラムに、自作とあわせて、師である廣瀬先生の「海の詩」の解説も書かせていただいた。
そのプログラムからの転載です。

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「海の詩」そして「野の花の色」

 私が、廣瀬先生に初めてお目にかかったのは、1977年の夏のことでした。その年の芸術祭参加作品となる「海鳥の詩」の録音のため来札されていた先生を札幌のホテルのロビーで捕まえ、委嘱作品の依頼交渉をしようというのが当時北大に在籍し混声合唱をしていた私達の計画だったのです。
 残念ながら委嘱作品は完成しませんでしたが、先生にお渡しした私達の演奏の録音を聴いて後に先生が雑誌「太陽」に書かれた記事、都会への夢と希望を高らかに謳歌する作品をなんの屈託もなく演奏していた私達に関して、「アマチュアの合唱団に現実の風は吹かないのだろうか」と書かれたことが私の音楽に対する世界観を変えました。音楽をとおして現実に関われること、少なくとも関わろうとしながら創作する作家がいることを知ったことが、一度は捨てた私の音楽への想いに火を付けたのです。
 日本は中東紛争によるオイルショックに端を発した社会不安、そして戦後初めてのGDPマイナス成長を経験し、徐々に顕在化する高度成長の歪みのなかで、豊かさやテクノロジーへの盲信が反省されはじめた70年代半ば、「海の詩」はそんな時代の雰囲気のなかでが作曲されました。

楽譜の前書きには次のようにあります

「海を見るということは我々をとりまく現実を見ることであったり,我々の歴史と直面することであったりする。気づかないながら,我々の運命は「海」と
どこかでつながっている。だから岩間さんの詩に日本論や, 日本人論,あるいは痛烈な風刺や,鋭い批判といった視点が入ってくるのは至極当然のことである。」
5つの楽章からなる組曲はシリアスな告発からシニカルな戯画まで、大きな振幅と多角的な視点で立体的な世界観を構築します。生命を育む力を失った鉛色の海を前に、第1曲「海はなかった」の「怒り」、第3曲「海の子守歌」の「鎮魂」、第4曲「海の匂い」の「嘆き」はダイレクトで明確なメッセージを伝えます。一方で第2曲「内なる怪魚」を作曲家自身は「社会の根底に潜む前近代」と表現します。ボヤボヤしていると、息を潜めていた諸々の魑魅魍魎が「目を覚まし」気がつけば雁字搦めに取り込まれるよ、と皮肉とブラックユーモアを込めてに載せて歌うわけです。終曲「航海」は作者によれば「架空の解放歌」です。「東方に向かって」「光を放たん」と船が攻めてくるというのは、冗談では済まされない昨今の国際情勢ですが、「解放」しようとする側もされる側も何処かいびつでギクシャクした楽想に象徴されるのは、勇ましい解放歌の体を取りながら、実はもっと峻烈で逆説的な文明論と考えるべきでしょう。蒙昧な社会に光を放つのは「理性」という名の新風でしょうか。
 一昨年の東日本大震災の直後、在留邦人で構成されるニューヨークの男声合唱団と被災地仙台の合同合唱団がカーネギーホールで犠牲者への祈りや復興への願いを込めて「海の詩」を歌い、深い共感を呼んだそうです。海とともに暮らすしていかざるをえない私達日本人があの日目の当たりにしたのは自然と海の圧倒的な脅威、そしてそれによって露呈した戦後日本が築いてきた文明の欺瞞と脆弱さでした。悲劇への哀悼と反省の思いの前で、作曲後35年以上の時を経た作品は今なお鮮烈な説得力と感動をもって輝きます。

組曲「野の花の色」について

 その悲劇からまる2年、私達は依然として土手っ腹に広大な荒廃を抱えたまま記憶だけを日々風化させつつ暮らしています。事態を深刻にした最大の元凶と勇気を持って対峙することもなく、景気の動向と他国の顔色に一喜一憂しながらふたたび嘗ての「停滞」のなかに沈み込んでいきつつあるようにも思えます。「シーラカンス」のように・・・
 「野の花の色」は2年前、多くの日本人同様震災後の放心の中で、憑かれたように書き上げた前作「雨のあとには」と多くの点で共通する内容を持ちます。全編書き下ろしの鳥潟朋美さんによる歌詞は、私達が経験した挫折の記憶から未来をどうのように紡いで行くかという命題、そして同時に社会に蔓延する閉塞感を払拭したいという願いを、「冬を送り、春を待ち望むうた」という形で象徴します。

第1曲「光の冬」
 鳥潟さんや私が育った北国の人々にとって「冬」は時に厳しく辛いものですが、同時に全てを浄化しやがて来たるべき春を予感させる象徴でもあります。
 特に厳しく冷え込んだ大雪のあとの快晴の早朝。空気は澄みきってカラリと凍てつき、純白の新雪に覆われた大地がまるで「光の束を」取り込んだ空気そのものが光を凍結して封じ込めたかのように目映く輝きます。やがて前夜からの息を潜めたような静寂が破れ、雪かきの物音、子ども達の歓声、通勤や買い物に出かける人々の気配で街が突然息を吹き返すひととき。そして再び戻る静寂の彼方で冬は厳かな佇まいで悠然と歩みを進めて行きます。

第2曲「岸辺のうた」
 作詞者によれば冒頭は、見上げると空の一点から湧き出すように降る雪を見つめる子供の目。無垢な精神が初めて「存在の孤独」を実感する瞬間。多くの記憶の中、時の流れを象徴する「川」と「窓辺」がクロスする時空の交点で二つの魂が交感する。一陣の微風にさえ儚(はかな)く脆く崩れ去りそうな掛け替えのない場面は一瞬のようでもあり永遠のようでもあり・・

第3曲「あれ野」
 作詞者によれば「あれる」は「荒れる」と同時に古語「生(あ)れる」を含意します。古来「荒れ野」は絶望と荒廃を具現するとともにしばしば「新たな力」を生み出す舞台でもあるのです。私達が抱える荒廃がいつか色とりどりに咲き乱れる野の花におおわれ、多様な未来と来るべき世代の原点となる日を夢見て。

第4曲「花あらし」
 春は嵐とともにやって来ます。「木々をゆらし、窓を鳴らし」全てを吹き飛ばす強烈な南風の襲来を五感で感じ、明日こそは新たな旅立ちとなることを予感しながら一時の眠りにつく。

最後に再び「海の詩」の前書きからの引用です。
「様々な困難な問題をかかえて生きる我々ではあるが,それにもかかわらず,歌はやはり楽しく,歌い甲斐のあるものでなくてはならないと,かねがね思っている。歌とは人の心を結ぶものだ。この曲もそういう曲でありたいと願っている。」
 私自身も師とまったく同感です。心を結んだ演奏を通じてささやかな希望の光が灯ることを願ってやみません。

 前作同様、頼みもしない新作を持ち込まれながらイヤな顔一つせず初演を引き受けて下さり、変わらぬ情熱とひたむきさで作品世界を表現して下さるCANTUS ANIMAEのみなさん、舞踏家のように優雅な指揮でしなやかにそして的確に音楽の陰影を浮かび上がらせる雨森文也さんと繊細かつ大胆に音楽の骨格を支えて下さるピアニスト平林知子さんに心から感謝を申しあげます。素晴らしい本番の演奏を、会場の皆さんと共有できる事が楽しみで待ちきれません。

2013年11月10日日曜日

「野の花の色」音楽之友社 近日刊行

2013年4月21日初演の混声合唱組曲「野の花の色」は、2年前多くの日本人同様震災後の放心の中で、憑かれたように書き上げた前作「雨のあとには」と多くの点で共通する内容を持ちます。全編書き下ろしの鳥潟朋美さんによる歌詞は、私達が経験した挫折の記憶から未来をどうのように紡いで行くかという命題、そして同時に社会に蔓延する閉塞感を払拭したいという願いを、「冬を送り、春を待ち望むうた」という形で象徴します。近日刊行予定です。